BRAND COLUMN

ラルフローレンの歴史について

ブランドコラム 2021年06月18日

こんにちは、ブランド買取GRACE新潟スタッフ山崎です。

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今回はラルフローレンの歴史についてご紹介します。

【ラルフローレン】

ローレンは、ブルックス・ブラザーズ(Brooks Brothers)のネクタイ売り場を担当していました。彼のアイデアで、贅沢な素材を使った4インチ幅のワイドタイを売ることとなります。
それが大ヒットし、1967年ノーマン・ヒルトンの財政支援のもと、ボー・フランメル社に迎えられました。そしてポロのブランド名で、手作りした高級なネクタイ部門を開設することになります。
翌年フランメル社から独立し、メンズウェアを手がけるポロ・ラルフ ローレン社(Polo Ralph Lauren)を設立し、コレクションを発表します。イギリスの伝統的なスタイルをアメリカ流にアレンジし、機能性とカジュアル感を出した新しいファッションスタイルを打ち出しました。
1970年、メンズウェア部門でコティ賞を受賞します。その翌年には、レディースウェアを発表し、上品で伝統的なテーラードスーツが好評となりました。そして、初の1号路面店をビバリーヒルズにオープンし、ポロプレイヤーロゴが初めて登場します。メンズウェア部門でもトニー賞を受賞しました。
その後ラルフローレンは、初のレディースのファッションショーを発表し、全24色のポロメッシュシャツを発表しました。
翌年、映画「華麗なるギャッツビー」の男性キャストの衣装デザインを担当し、70年代後半にはウッディ・アレン監督でアカデミー賞受賞作品の「アニーホール」の衣装を手がけました。特にダイアン・キートンの衣装は、マニッシュスタイルとしてブームを巻き起こしました。
1980年代にはフランスのパリに、アメリカ人デザイナーのブランドとしては初めての路面店をオープンさせました。そして90年代は新しい派生ラインや他ブランドとのライセンス締結を発表します。
まず、ダブルアールエル(RRL)を発表し、翌年、最上級クロージングラインであるラルフ・ローレン パープル・レーベル(Ralph Lauren Purple Label)を発表。
その後ポロ・ジーンズ・カンパニー(POLO JEANS COMPANY)を発表した際には、リーボック(Reebok)ともライセンス契約を結びます。また、レディースとキッズとメンズのシューズの生産・販売をスタートさせました。この時期から、ポロ・ラルフ・ローレンは公開企業となり、ニューヨーク証券取引所に上場しました。
ラルフローレンの革新は2000年代になっても続き、低価格で大学生向けの新ラインラグビー(Rugby)を開始した時にはエンブレムとしてポロの代わりに、メンズはラグビーのキッカー、レディースは小さなラグビーシャツを採用しました。
ラグビーの1号店をボストンにオープンし、これをthe new Poloと呼び、今後5年間で40店を開店させる計画を示しました。ラグビーは日本にも進出し、初の海外進出店は東原宿のキャットストリートにオープンしています。
他にもアメリカ選手団の公式ウェアの担当、CFDAアワードでのポピュラーアワードの受賞など、ブランドの歴史に刻まれる出来事が次々とありました。2011年、ポロの名前やロゴがつけられていないブランドが増えたことを理由として、株主総会でラルフ・ローレン社に会社名を変更すると議決されました。

今回はラルフローレンの歴史について簡単にご紹介しました。

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